旅の途上で

私の旅の記録です

「EXPO’70パビリオン」別館に訪問

1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)。その当時の出展施設であった鉄鋼館を再利用し、同博覧会の記念館として、2010年3月に開館している。それ以前は、旧万国博記念協会の近くの建物を記念館としていたが、その後はこの鉄鋼館に移された。

鉄鋼館は日本鉄鋼連盟が出展したパビリオンで当時から現存する建物として極めて貴重なものである(パビリオンではないが万国博ホールなども当時のもの)。万博終了後は全てのパビリオンは取り壊されることになっているが、万博終了後も太陽の塔が大屋根含めて数年間解体されずに残っていた。どちらが先に解体されたかあまり覚えていないが、同じ様な時期まで残っていた日本館の解体も遅かった。その後にエキスポタワーも解体されたと思う(記憶は薄いが、時期的には一番遅かったような)。何れも解体され、パビリオンの中で唯一残ったのは鉄鋼館だった。ずっと閉鎖された建物で、なぜいつまでも残っているのか不思議に思っていた。もともとこの鉄鋼館は、万博開催期間だけではなく、その後も残す予定の建物だったと聞いたことがある。その目的が記念館だったのかどうかはわからない。

その、記念館に生まれ変わっている鉄鋼館であるが、今年の8月に別館が増設され一般公開が始まった。常設展示に加え、大阪万博当時の太陽の塔の頂部に設置されていた「黄金の顔」が展示されているとのことだった。

少し遅くなったが今回訪問することにした。北大阪急行千里中央駅から大阪モノレール山田駅へ向かい、そこから徒歩で万博記念公園に向かったので、その時の様子も含めて記録しておく。

千里中央駅。現在は千里中央駅止まりの北大阪急行であるが、来年3月に箕面萱野駅まで2駅延伸される

山田駅。いい感じのポスター。本当に万博公園は落ち着く

万博の外周道路にある錆びた照明。これは1970年開催当時から残っている。夜に確かめていないので、照明として使われているのかどうか分からない。なぜか撤去されずに残っている。銘板の所、数年前は白く塗られていなかったが、今は白く塗られていて分からないが、よく見ると当時のものであることがわかる。外周道路に何本残っているのだろうか

大阪モノレール車両基地

万博当時と変わらない場所にある駐車場。このゲートはその後に建ったものかも知れないが、当時のままのものが残っていそうな気がする

大阪モノレール万博記念公園駅

当時の大阪万博協会があった建物。今は何に使われているのだろう

赤いイナズマのタイル。今の太陽の塔のイナズマは一度張り替えられている。赤と緑色の2種類がある。相当前の話しであるが、1個ずつの2個セットで売られた時があり、自分も並んで購入した

黄金の顔の目のライト

2025年の万博デザインの雨水マンホール蓋があった。70年万博が大好きな自分にとって、このミャクミャクはまだ馴染めない

[2023年9月23日(土)]