昭和45年(1970年)に開催された大阪万博(日本万国博覧会)の当時テーマ館となっていた太陽の塔の内部に入ることができた。改装して一般公開する話や、それに伴う寄付金の話もあったので一番乗りで入りたい気持ちもあったが、結局訪問の機会を作れず今に至っていた。
今回は、今の万博公園に残る当時の大阪万博の遺構を訪ねるというツアーに当選したのでその時の様子を記録しておきたい。当時の写真と見比べながら当時の万博遺構が残っているところを歩いて回り、最後に太陽の塔の時間外特別見学を含むものである。案内は万博ミュージアム館長の白井氏である。参加人数は30人弱だった。
自分はかなりの大阪万博マニアではないかと思っている。当時の記憶はわずかしか残っていないが、色あせた当時の写真の中にその様子を確認することができる。万博終了後も小学生の頃に何度も万博跡地に足を運んだ。当時は大阪に居たので、小学生でも気軽に遊びに行くことができた。その頃は太陽の塔の大屋根も、エキスポタワーも残っていて、巨大な日本館が解体中だったことも覚えている。それからしばらくして、万博跡地に国立民族学博物館ができて、こちらも良く通ったりした。その後の民族学、地理学が好きになっていったことにもつながっているのではないかと思う。
今でも万博グッズのコレクターでもあり、当時の書籍、ポスター、当時の売店で売られていた土産物、当時の鉄道の行先板、前頭板などなど多くの万博関連グッズを収集している。
奈良盆地の南側→大阪上空
阪神デパート地下にある名物のいか焼き
地下鉄の公衆トイレの男女のデザインが面白い
天満界隈。やはりうまいやのたこ焼は最高
阪急千里線山田駅からモノレール山田駅に乗り換え。太陽の塔遠望はモノレール山田駅ホームから
旧鉄鋼館。今は万博の記念館になっている
当時の万博グッズの販売
白井氏は大阪万博に関して著名な方
この2枚の小川の写真は同じ位置からの撮影である。この写真からではわからないが、小川の石で同じ形の石が残っていたりする。
上の写真は100mの万博一の高さを誇るソ連館。ちなみにアメリカ館は高さが低い真逆の建物。どちらも月の石が目玉。冷戦時代を象徴している。
ここまでが、万博公園内を巡回している様子
この日の夜は新世界の串カツ屋さんへ。目当てのお店は閉店していて、次によく行くお店へ。閉店間際で珍しく並ばずに入れた
カールが東京で売らなくなったので、買って帰った
梅田地下街に張ってあったポスター。泉の広場が無くなる?
[2019年4月20日(土)~4月21日)に訪問]