これまで数多くの旅行をしてきたが、今回の10月中旬に行った旅行は、満足感、達成感では最高レベルだった。リフレッシュ休暇を使った小笠原諸島の硫黄列島(南硫黄島→硫黄島→北硫黄島)のクルーズである。
5年に一度のリフレッシュ休暇は平日5日間。今回はどこに行こうかと、海外含め色々考えている間に、小笠原諸島の硫黄島(いおうとう)方面へのクルーズが年に一度あることを知った。知ったのは3月下旬だったと思う。その後、小笠原海運からの発表はなかなかなされなかったが、10月の具体的な日程の情報を入手した。仕事は何とか調整して、何としてもこの期間を休んで行くぞと決意した。先ずは、乗船券の発売日を待って、予約するところに注力。予約できなければ全てが水の泡となる。
硫黄列島へは父島経由となる。父島訪問は4度目になるが、「おがさわら丸」の乗船券を確実に取りたいと思ったのと、父島の宿を取るのは他地域と比べ面倒だと毎回思っていたので、最終的には小笠原専門の旅行会社に頼むことにした。自分で全てを手配するよりは高くついたが結果的には良かった。
今回のクルーズは、東京の竹芝から小笠原諸島の父島へ24時間かけて行き、そこから24時間かけて硫黄列島(火山列島とも言う)を周ってくるというツアーになる。ちなみに父島は、東京都に属するが、東京都心から日本で最も遠いところで、飛行機も無く24時間の船旅でしか行くことが出来ない。おがさわら丸は通常は父島で3泊停泊してから、竹芝に折り返しの出航となる。小笠原へは最低でも5泊6日が無いと行くことが出来ない。父島側からすると6日に一度しか竹芝行きの船が出ないことになる。
今回のクルーズは通常は父島に3泊停泊しているうちの、初めの1泊を硫黄島方面に出かけるもので、父島からさらに24時間かけて硫黄列島の3島(南硫黄島、硫黄島、北硫黄島)を巡るものである。父島を19時に出港して、先ずは南硫黄島をめざす。翌日の夜明けとともに南硫黄島へ。そこから北上し、硫黄島→北硫黄島→父島に18時半に戻るという行程である。全体で5泊6日(船中泊3泊、父島2泊)となる。
これは大変貴重な機会である。一般人は小笠原諸島の父島及び、そこから50kmほど南の母島までしか行くことはできない。硫黄3島には上陸はできないが、その場所まで行って、間近に島を見ることが出来るのである。
小笠原の島々は、日本の東西南北の端の島ではないが、沖縄離島とは違う絶海の孤島となり、まさに日本の最果ての島になる。最南端では沖ノ鳥島だが、環礁の中の小島で人は上陸できない。最東端の南鳥島は、硫黄島同様に自衛隊、官公庁関係者、工事関係者しか訪れることはもちろん、見ることもできない。これらの島も小笠原諸島(東京都小笠原村)に属する。
今回の硫黄3島の中でも、硫黄島訪問(正確には沖合2km程度で周回)は、上陸はできないものの自分にとってとても意義のある訪問である。母島よりさらに南へ行けること、そして何よりも太平洋戦争の激戦地であった硫黄島に訪問できることである。硫黄島は、36日間の組織的戦闘により、守備隊2万3千人のうち戦死者2万2千人以上に上り、いまだ1万人の遺骨が眠っていると言われている。海外戦没者約240万人、現地に残されたままの戦没者113万人の遺骨収集の話しではない、日本の領土で、かつ東京都であるにも関わらず、その1万人の遺骨収集すらできていないのである。(数値など、酒井聡平(2023):「硫黄島上陸」より引用)。
そのような、なかなか行くことが出来ない硫黄島と、さらに南の南硫黄島まで移動できたことは何よりも有難い機会であった。まさに満足感、達成感に満ちた旅行となった。6泊7日の旅行であるが、3回に分けて記録しておきたい。
1.大阪から父島まで
2.硫黄3島クルーズ
3.父島から大阪まで
今回は、1.大阪から父島までの記録である。
新大阪から品川までは新幹線
この日も富士山は見えず。自分としては、新幹線車窓から見る富士山は、このUCCの建物辺りの位置から見るのが一番美しいと思っている
宿は京急蒲田駅近くのビジネスホテル。最近の東京のホテル料金は高いが、高いと感じ出す以前の、感覚的に普通の価格のビジネスホテルが有ったのでそこに決めた。翌日は京急で大門へ。通勤の満員電車に大きな荷物を持って乗るのが嫌なので、一番後ろの車両に乗ったが、そこまで混んでいなかったので良かった
既に浜松町の世界貿易センタービルは無い。再開発ビルの全ての完成はもう少し時間がかかる
竹芝客船ターミナルの様子
これから先、晴れてくれれば良いが、離島の天気はあてにならないので気にしない方が良い。気にしても仕方がない。台風だけは来てもらうと困るがその心配は無さそうである
いよいよ乗船。自分の搭乗券記載の部屋番号は300番台なので、乗り込みは最後の方だった
2等和室。3代目「おがさわら丸」になって2等和室も快適になった。全ての座席が埋まることなく、一つ飛ばしで過ごせる程度の込み具合だった。先ずは荷物を置いて、デッキの方へ
小笠原海運の方々からお見送りいただきながら出港
時々、少しだけ小雨がぱらつく天気
レインボーブリッジと曇天下の海
売店で売っていたおがさわら丸のステッカーを早速カバンに貼ってみた
自分の座席は300番台なので、3デッキと呼ばれるところにある2等和室
少し船内を見て歩く
東京湾口を出てしばらくしたらデッキに出ようと、室内ではずっと本を読んでいた。デッキに出た時、後ろの方に島が見えた。三宅島の様である。
次に見えたのは御蔵島(みくらじま)。どちらの島も寄港したことがあるが、上陸したことは無い。いつかは行こうと思う。ところで、このルートは通常の「おがさわら丸」のルートではないらしい。乗客の人が言っていたのは、鳥を撮影するための超望遠レンズのカメラを持った人が多く乗っていて、その人たちのために鳥が多く飛んでいるルートをとったとのこと。本当かどうかクルーの方に確認すればよかったが、確かにこのルートは無いなと思った(通常は伊豆諸島の東側を南北に航行する)。
この日は雲が多くて水平線に沈む夕日は見られなかった。日が沈んだ後も1時間程度、この時に話題になっていた「紫金山・アトラス彗星」を雲の間などで探したが、わからなかった。
次からの写真は翌朝。何もない海しかないので、空の色と海の色が違うだけで似た写真が多い。だんだんと明るくなっていく
少し遅い時間にレストランで朝食。一番安い500円の洋定食
父島まで99キロの位置
今乗船している「おがさわら丸」
雲の合間の青空や、大雨の雲など、海の上の雲は面白い
小笠原諸島の聟島(むこじま)列島が見え始めた。父島まではもう少し。ガイドの方が2人いて、上下のデッキに分かれて島や鳥、イルカなどの説明をされていた
空が明るくなって海の色も変わってきた。小笠原の美しい深い青色の海はボニンブルーと呼ばれるが、抜群の透明度の独特なきれいな深い青色の海である(何と表現するのか・・・)。この後ももっと美しい青い海の色を見ることになる
この山の上にある展望台「ウェザーステーション」。自分が父島で最も好きな場所の一つである。今回も何度か訪れることになる。この解放感あふれるウェザーステーションと、美しいジニービーチと南島が良い(今回はどちらも行かない)
父島の二見港に入港する
「ははじま丸」が停まっていた。父島からさらに南に50kmの距離にある。人口は父島の4分の1程度の450人ほどの島であり、観光で訪れることが出来る小笠原諸島最南端の島になる。この島に「都道最南端」の看板もある。ちなみにこの父島も母島も品川ナンバーである
24時間の船旅も終わり、父島二見港に到着。竹芝11時発→父島11時着である
この日の19時に出港する「硫黄3島クルーズ」に乗る人の荷物を一時的に預かってくれる。ここに荷物を預けて、身軽に島を見てまわることが出来る。自分もここに荷物を預けて、父島の宿は硫黄3島クルーズから戻ってきた日からの2泊分だけ予約するつもりだった。ところがツアー会社と提携してる宿は、全て3日分の宿泊を要求してきたとのことで、仕方なく3泊で予約していた。父島の宿はこんなところの一体感?もあり好きではない。ということで、宿の人に迎えられて、クルマで宿に向かった。歩いても大した距離ではないが荷物が重たいので有難い。この港がある集落は大村地区と呼ばれる父島で中心の集落である。
父島は晴天
小笠原世界遺産センター。宿から近かったので先ず訪問した施設。建物は大きくて立派だが、その割には展示はもうひとつ。小笠原の別の施設の人にそのことを話してみたら、展示が目的の施設ではないとのこと
小笠原郵便局
下水のマンホールはクジラとイルカ。小笠原らしい
初めて小笠原に来た時に戦跡ツアーに参加したが、そのツアーに参加していた大学生に教えてもらった食堂「波食波食(ぱくぱく)」。それ以降、父島に来るたびに立寄っている。居酒屋というより食堂である
東京島しょ農業協同組合小笠原父島支店。お土産を売っている。簡単な飲食ができるコーナも作られていた
本数は少ないが、路線バスを効率よく利用することもできる
「まるひ」という島で一番大きなお土産屋。魚サン(ギョサン)が売られている。この旅行期間中は以前買った魚サンを持ってきていたので船の中から履き替えて過ごしていたが、鼻緒の付いたサンダルは普段履かないので、足の指の間が痛かった
島で一番大きなスーパーである小笠原生協
その向かいにある「スーパー小祝」というスーパー。この様に少し散策していたが、とても出港の時刻まで時間をつぶせない(19時出港だが17時には行っておこうと思っていた)。このあと、この近くの「小笠原観光」でレンタルバイクを3時間借りることにした。さすがに平日、予約もせずに借りることが出来た。行き先は、先ずはウェザーステーション
ウェザーステーションに行く途中。大村地区を見下ろす
途中にある戦跡
ウェザーステーション。誰もいなかった
ウェザーステーション駐車場から、三日月山展望台へ歩いていく
展望台に向かう途中から
三日月山展望台
その後、宮之浜へ。その後は「夜明道路」を走って、ざっくりと島の道路があるところを一周
長崎展望台
夜明道路
首無し尊徳像のある夜明山
この茂みの中に大きく損壊した戦時中からそのまま放置されたような建物がある(海軍通信隊送信所)。今は入れない。初めて訪れた時(16、17年前?)はこのような立入禁止になっていなかった。たぶん戦時中に被弾したのか、その後に大きく崩れたのかはわからないが、損壊の状況はすごく迫力があり、見た時の衝撃は大きかった。当時の大きく崩れた建物がそのままの形で残っているのは、国内でここだけではないだろうか。損壊も激しく危険なので、立入禁止になっていることは十分に理解できる。この送信所は硫黄島とも繋がっていたのだと思われる
初寝浦展望台へ行く途中にある戦跡。当時のままだが内部もきれいにされている。大きな損傷は見られない
初寝浦展望台
夜明山を後にする
落下物注意の標識
扇浦海岸
境浦海岸。入り江の中央に戦時中に被弾して座礁した沈船(濱江丸)が見える。以前はもっと船の形をしていたが、年々崩れて低くなっている。白い船はツアーボートで、近くまで見に来ているもの
給油して、ほぼ返却時間まで利用。この日も暑かったので、この後は宿でシャワーを浴びてすっきりした。ここは宿を取っておいて良かったと思ったところのひとつになる。その後二見港へ向かう。
(つづく)