旅の途上で

私の旅の記録です

根室から知床半島の宇登呂へ(冬の北海道⑥/12回)

根室での朝、市街地から見える海に流氷が来ていないことを確認した。そうだろうと思ってはいたものの、やはり残念だった。
先ずは根室駅に行った。それから、この3月に廃止になる無人駅である花咲駅に訪れた。花咲駅の駅舎は国鉄時代の車掌車を改造したもので、北海道内の無人駅にはこのタイプは多い。次に日本の最東端にある東根室駅に訪問。これまでも何度か訪れているが、列車に乗って降り立ったことはない。いつの日か、そういうゆとりのある列車の旅をしたいものである。
その後、根室市街地から根室半島の突端にある納沙布岬へ向かった。納沙布岬へ行くときはいつも逆時計回りに根室半島を走っている。納沙布岬までの道路は、「歯舞」(はぼまい。歯舞諸島の方ではない)、「珸瑶瑁」(ごようまい)と、通過する集落名を見ても最果てムードが漂う。
納沙布岬には観光客はほとんど居ない。濃い霧のために少し先になると何も見えない。
根室市街地に戻る半島北側の道路も根室市街地までずっと霧に包まれていて、幻想的だったが右手にある海が全く見えなかった。
根室市街地を出て、昨夜走った国道44号を今度は西に向かって走る。道路上には「シカ注意」の道路標示が何か所にも書かれていた。
根室本線厚床駅に少し立ち寄り、国道243号、国道244号を斜里町まで北上した。標津町まで右手に見えるはずの海も濃い霧で何も見えず、流氷が接岸しているのかどうかもわからない。野付半島に立ち寄り、国後島を背景にした流氷を見ようと期待していたが、それも無理そうなので断念し、ただひたすら走り通した。
凍結の根北峠を越え、斜里町郊外を通り宇登呂を目指して走った。すでに日は暮れ始めていた。このオホーツク海にも流氷は接岸していなかった。

[2/19(金)]根室市中心部(根室駅→花咲駅→花咲港→東根室駅)→納沙布岬根室市中心部→厚床駅→別海町郊外→標津町郊外→根北峠→斜里町郊外→斜里町(宇登呂)(宿泊)



根室



根室駅前の根室市観光案内所。バスの待合室も兼ねていた。土産物売り場で根室名物の「オランダせんべい」と、今夜飲むお酒として「北の勝」を買った




根室本線の花咲駅。一日の乗降者数はわからないが数人程度だろうか。駅舎内は美しく整理されている。いつもこの駅を気遣っている人がいるのだろう。駅が開設されたときは、それが必要なのでできたはずで、地元にも歓迎されたことだろう。時の流れの中でその役割が終わり、やがて忘れ去られていくことになるのだろうか


花咲港。看板にはロシア語も併記されている



日本最東端の東根室



日本最東端の「珸瑶瑁」(ごようまい)郵便局。日本最東端の珸瑶瑁小学校。漢字では書けない難しい地名である。ここでは何でも最東端になる。


ところどころにある北方領土返還を訴える看板






納沙布岬付近。霧で見通しがきかない


納沙布岬から根室市街地へ向かう半島北側の道路。右手にずっと見える海が全く見えない





根室本線厚床駅で根室行きの普通列車を撮影。この駅は「青春18きっぷ」のポスターになったことがある駅のひとつである(2000年夏版)


国道243号から入る別海町


国道243号から国道244号に分かれてしばらく走ったところ付近。何か所にもシカの大群がいた


標津町



さらに走る。次に目指すは根北峠。この峠は北見地方と根室地方の大きな分かれ目となる


根北峠にある斜里町カントリーサイン


国鉄根北(こんぽく)線の未成線区間にある越川橋梁。登録有形文化財に登録されている遺構である。国鉄根北線は、斜里駅から越川駅までの約13キロの鉄道距離であったが、1970年12月に赤字路線として約13年の短命で廃止。この越川駅の先に続く路線も建設を中止。越川橋梁はそこに残された橋の遺構である



根北峠を越えて、宇登呂を目指す。右手には海別岳


オシンコシンの滝。ライトアップされていた。ここを通過するといよいよ知床に入ったという気がする


(古い写真)1987年の、偶然にも同じ2月19日の納沙布岬。このような光景を期待していた。写真を撮影したので見にくいが、雰囲気はわかる

(つづく)