旅の途上で

私の旅の記録です

昔のライダーを訪ねて、道北へ

富良野のラベンダーを久しぶりに見に行きたくなった。そのことがこの時期の北海道へ行く動機であった。その後に、もうひとつ高まってきた思いがあった。それは、羽幌の喫茶店へ昔のライダーに会いに行くことであった。羽幌は道北の日本海側にある小さな町である。確かにはじめはラベンダーのことだけを考えていたが、ふとこのライダーのことを思い出してからは、だんだんとこちらの思いの方が強くなってきた。

主な走行ルートは下記の通り。千歳でレンタカーを借りて千歳で返した。
[①札幌から日本海沿いに北上]千歳→札幌→石狩→厚田→浜益雄冬岬→増毛→留萌→小平→苫前→羽幌→初山別→遠別→
[②内陸へ移動し南下]音威子府→美深→名寄→母子里→幌加内旭川
[③美瑛・富良野方面]美瑛→上富良野(→十勝岳温泉→白銀温泉→上富良野)→中富良野富良野→南富良野(金山)→占冠[道東自動車道]千歳
と大きく①②③の3地域に分けてみた。こういうルートで走る人はいないだろう。変な走行ルートになったが仕方がない。行先が全然違うところなので・・・

目的の2か所でのできごとと、いくつかのポイントでの写真とコメントを残しておきたい。

<羽幌の喫茶店
北海道北部の日本海に面した羽幌町という小さな町に、知る人ぞ知る喫茶店がある。今は民宿も併設している。この店は北海道を旅するライダーが立ち寄る場所として、一度は訪れたいと思う場所である。ここのマスターは、立ち寄ったライダー一人ひとりの写真を撮ってくれる。そしてその写真をきちんとアルバムに整理して、いつまでも残してくれている。

学生時代に北海道を2度ツーリングしている。当時は今とは比較にならないくらいオートバイが流行っていて、オートバイや自転車で北海道を一周する若者であふれていた。1度目の北海道ツーリングは1986年8月25日から9月19日まで。宿泊先はユースホステルや安い民宿を主体にして走った。2度目は1987年8月13日から9月7日まで北海道にいた。その夜は青函連絡船で青森にわたり国道4号線を南下。途中仙台郊外の河原でテントを張ったりしながら、青森から3日程度かけて当時住んでいた京都まで帰っている。ただ、旅先での日記帳の記録が、9月7日の朝に札幌で記載したものが最後となっていて、その後の詳細の行動は記憶にあまり残っていない。この時のツーリングは、テント持参でキャンプ場や駅に寝ることを主体に、3日に一度くらいはユースホステルに泊まっていた。愛車はホンダの400ccのオートバイ。この喫茶店を訪問したのは、この2度目のツーリングの時であった。今回会いに来たライダーとは当時の自分のことである。

あの時に撮ってもらった写真はあるのだろうか、どんな写りをしているのだろうか。今回は、当時の写真を懐かしく眺めたいと思ってやってきた。お店の中にはたくさんのアルバムがきれいに整理されて書棚に収まっている。目につく棚には最近の年代のものが並べられており、当時の年代のものが見当たらない。どこにあるのだろう。古いアルバムは違う部屋の別の棚ということを教えてもらい、はやる気持ちを抑えながら当時の自分の写真をさがし出した。見つけた!ちゃんとうまく写っている。デジカメでなく取り直しもできないので、ちゃんと写っているか心配していた。そこには今の自分とは全く違うカッコいいライダーとオートバイが写っていた。撮ってもらった写真をはじめて見ることができた。感激したので何度も何度も自分の写真をみたり、その写真をデジカメ写真に収めたりした。アルバムの違うページにはその時の旅先で知り合ったライダーの写真もあった。いつまでも見入っていた。次にこの店を訪れるときはオートバイで来たいと真面目に思った。

少し意識してオートバイ選びを始めようかなと思う。当時は750ccが憧れであった。それ以上の排気量のものは逆輸入車で全く違う世界の排気量だった。その後はそういった規制がなくなったようで、今やビッグバイクとして1100ccや1300ccのものもある。16歳で小型二輪免許を免許試験場で取得。基本的に高校では禁止されていたが、家が商売をやっていて必要だという理由をつけて許可を取り付けた。高校の卒業時に中型二輪免許を取得。学生時代に試験場での試験7回目で大型免許(限定解除)を取得している。しかし大型二輪は所有したことがなかったので、いつかは・・・と思っていた。

入社後に配属となった札幌勤務の時、2回目の冬が来る前にオートバイを手放した。当時流行っていた日産ダットサンピックアップトラックを会社1年目の秋に購入していたため、オートバイに乗る頻度が減っていた。今思えば、オートバイを捨てて、楽で快適な自動車の方に気持ちが行ってしまっていた自分を情けなく思う。

<ラベンダー>
7月の中下旬はラベンダーが見頃である。北海道は花のきれいな時期である。お盆休みのころは既に花を見るには遅い。久しぶりにラベンダーを見に行こうと、数か月前から決めていて航空券も予約していた。

美瑛から上富良野、中富良野富良野、南富良野まで、ラベンダーの見所はいくつかある。旭川市街地から国道237号線を南下した。この旭川もつい先日出張で来たばかりだ。その時は旭川らしくない気温と湿度で参ったが、今回は車なので快適である。まず始めにあらわれる国道沿いのラベンダーの丘である「ぜるぶの丘」に立ち寄った。今回初めて見るラベンダーを夕方の光のなかで見ることになった。

その後は今夜の宿である十勝岳温泉へと向かった。十勝岳温泉も平成に入った始めのころまではボロボロの山小屋風であったが、その後建て直されている。その割には決してきれいではないと感じる。ただ秘湯の雰囲気が好きなのでよく日帰り入浴では立ち寄っている。

翌日も天気は良かった。美瑛の丘陵を少し見てまわり、「拓真館」に来年のカレンダーが売られていないかを確認するために訪れた。ここで売られている前田真三のカレンダーは美しい。毎年ではないが部屋に飾っている年もある。カレンダーは売っていたが、国内全国どこでも売られているカレンダーであり、拓真館オリジナルのものでなかったので購入しなかった。今の時期にはまだ売られていないようである。この拓真館は美瑛にあり、前田真三が撮影した美しい美瑛の丘の四季折々の風景写真が展示されていている。この美瑛に来たときはたいてい立ち寄っている。

今回あまり時間はない。夕方の新千歳空港発のフライトである。肝心のラベンダーを見るために、美瑛の滞在はそこそこにして、ラベンダーを見に行くことにした。どこのラベンダーを見に行こうか多少迷ったが、最も有名で規模も大きな中富良野町の「ファーム富田」に立ち寄ることにした。

初めて訪問したときは富田ファームだった。今では名前が変わっている。規模も大きくなり観光客の数もすごい。とにかく人が多い。ひと通り見てまわり、そろそろ行かないとマズイかなと、千歳までの時間が気になり始めたので、もう少し見てまわりたいという気持ちを抑えて富良野をあとにした。

占冠から道東自動車道に乗る手前に、南富良野のかなやま湖畔へ左折する道がある。時間があればこのかなやま湖畔のラベンダーを見に行きたかった。意外と知られていないが、湖畔の傾斜地のラベンダーが見事である。しかし時間も無かったので今年は断念し、占冠のインターへ向かった。

【その他の写真】
サッポロビール園。いかにも観光客が訪問するという場所という感じもするが、地元の団体も使っているらしい。なぜかこのビール園が大好きで、訪問回数も数えてはいないが少なくとも20回以上は訪れているのではないか。いつもケッセルホールでのジンギスカンとビールの飲み食べ放題と決めている。

写真のゆるキャラは今回初めて出会ったかも。ポロくんと、妹のサッちゃんがいるらしい。サッポロからとった単純な名前である。今のゆるキャラブームなど関係もない20年以上も前からいるらしいが、今回初めてその妹のサッちゃんにお会いした。

雄冬(おふゆ)岬。20年ほど前までは、道路は通じていなかった(冬季だけ?)のではないかと思う。増毛の町までは北側の留萌方面からしか行けなかった。今回初めてこの道を通ったのでないかと思う。なんか感激しながら走っていた。(南側方向を望む)

この日の増毛(ましけ)の町はとても賑わっていた。天気もよく明るいイメージがあった。過去に何度か来ているが、暗いイメージ(失礼!)しかなかった。辛口のお酒造りの「国稀(くにまれ)」醸造元。大変混雑していた。
入り口

建物(一部)

増毛駅。ローカル線の終着駅。この写真には写っていないが、手前にある駅舎の大きさはかつての半分の大きさしかない。1981年に製作された高倉健主演映画の「駅 STATION」のロケ地としても知られる。増毛(ぞうもう)と読ませる縁起切符としても知られている。

その後に立ち寄った留萌(るもい)駅。

オロロンラインを北上する。オロロンとは、天売(てうり)島に生息するウミガラスという鳥で「オロロン鳥」とも呼ばれている。天然記念物に指定されている。そのオロロンという言葉がこの地域のいろんなところで使用されている。

オロロンライン(当時は羽幌国道と呼ばれていたような)と平行してJR羽幌線が通っていた。1987年3月末に廃止になったが、ところどころでその遺構を楽しむことができる。この羽幌線には廃止直前の冬に乗車している。旭川駅から稚内駅行きの夜行列車に乗り、分岐駅の幌延駅で羽幌線に乗り換えたが、留萌駅に着くまでの間ほとんど寝ていて記憶にない。今思えば残念でならないが、当時販売されていた20日間乗り放題切符「北海道ワイド周遊券」を使って旅していたときであり、結構疲れがたまっていたのだと思う。

この留萌からのオロロンラインと呼ばれる国道232号線は、日本海沿いに小平(おびら)、苫前(とままえ)、羽幌(はぼろ)、初山別(しょさんべつ)、遠別(えんべつ)、天塩(てしお)という町を通る。
天塩からは日本海側の道を稚内方面に走ると、北海道のアウトバーンともいわれる直線道路がある。制限速度無制限!というわけではない。そんな気持ちにさせる海沿いの直線道路である。以前は道道909号線という道で当時の北海道を走るライダーでは有名であった。今は道道106号線に変更されている。

音威子府(おといねっぷ)駅。音威子府そばという駅そばが有名であり、駅舎の中に天北線の資料室がある。かつては宗谷本線のこの駅から分岐した天北線が浜頓別経由で稚内までつながっていた。1989年に廃止されている。残念ながらこの天北線には乗車していない。乗っておけばよかったと悔やまれる路線のひとつである。

天気も良く、のんびりした駅の雰囲気が良かった。木造の跨線橋もいい雰囲気を出している。

名寄(なよろ)駅。好きな木造駅舎のひとつである。北海道の駅には、このような形をした屋根をもつ駅がいくつかある。こういう味わいある駅舎がどんどん新しい駅に作り替えられていく。

朱鞠内(しゅまりない)湖。名寄駅に少し立ち寄って、まずは母子里(もしり)に向かって走った。日本最低気温を記録したことがある地点である。2,3件程度の家しかない。でもそこにも簡易郵便局はあった。いつも思うが、日本中どこにでもある郵便局は素晴らしいと思う。
その後、朱鞠内の展望台に立ち寄った。あれっ?昔オートバイで走っていた時にも来たことがあるような感じ・・・。でもこの展望台からは、気が生い茂っていて湖が見えない。その後自宅で昔同じ場所で撮った写真を見つけた。木など生えていない。湖もよく見えている。この時の流れでここまで木が生い茂るものなのかと思った。

この辺りにはJR深名線が通っていた。冬は豪雪と厳寒の地を走る列車として有名であった。大赤字のローカル線であった。国鉄再建法により第一次、第二次、第三次にわたり1989年頃までに廃止されていった対象路線からは幸いにも外れた。しかし平行道路未整備の理由から免れていたものの、ついに1995年9月4日に廃止されたのである。廃止時期が遅かったこともありこの路線にも乗車している。運転室の後ろから夜の線路を走る光景を見ていたことを思い出す。
またこの幌加内(ほろかない)は「幌加内そば」の産地として有名で、走っていると広大なそば畑が続く。

町の中心部の幌加内町交流プラザの2回に旧JR深名線の資料館があった。時間帯の関係もあったが、結局幌加内そばは食せず。

上富良野駅。小さなこの木造駅の雰囲気がいい。夕日がきれいな時間帯であったが、空には大きな黒い雨雲が近づいていた。

十勝岳温泉に向かう途中、いよいよ大雨が降りだす。夕立である。その降り始めに見られた虹。

十勝岳温泉から白銀温泉に向かう道に入るゲート。途中に吹上温泉という天然の露天風呂がある。「北の国から’95秘密」で田中邦衛宮沢りえが入浴し一躍有名に。今回は素通りした。途中の望岳台も少しだけ立寄ったが車から降りずに白銀温泉方面へ下って行った。

美瑛町の青池。数年前に新しくできた観光地である。美瑛川砂防工事によって突如できた大きな水たまりらしい。いつも素通りしていたが今回初めて立ち寄った。天気が良かったこともあり、青い色の水と立ち枯れの木の光景が美しい。思ったよりは美しかった。


美瑛での何枚かの写真①

美瑛での何枚かの写真②

美瑛での何枚かの写真③

美瑛での何枚かの写真④

ファーム富田での写真①

ファーム富田での写真②

ファーム富田での写真③

ファーム富田での写真④

ファーム富田での写真⑤


[2013年7月13日(土)〜16日(火)に訪問]